木曽旅行 1日目
青春18きっぷを使って、1泊2日の旅行に行ってきました。
行き先は長野県の木曽地方です。
青春18きっぷでの旅なので制限はありますが、できるだけ色々回ってみました。
7:06 高尾駅
家を5時前に出たので7時にはすでに高尾。中央本線をひたすら西に行きます。
10:41 塩尻
甲府行き、塩尻行きと乗り継いで10時台に塩尻に到達。入口が異常に細いことで有名な「そば処 桔梗」がありました。
ここからはJR東海の中央西線。本数がかなり少ないので旅程を組むのがかなり大変です。
①奈良井宿
11:13 奈良井
第一の目的地は奈良井宿。
宿場町の面影が残っています。
奈良井宿は板橋から数えて34番目の宿場町で、奈良井川の河岸段丘下位面に形成されています。
京都側にある難所、鳥居峠を越えてから最初の宿場町だったため、江戸時代には「奈良井千軒」と言われるほど多くの旅人で賑わったようです。
かき揚げうどんを食べました。
この店は秋篠宮さまも学生時代に訪れたことがあるそうです。
長野県楢川村(現:塩尻市)のマンホール
雨が降ったので生憎のビチョビチョ具合です。
②上松・寝覚の床
14:07 上松
次の列車で上松駅へ。
上松駅から歩いて30分のところにある「寝覚の床」に行ってきました。
木曽川の浸食作用によってできた地形で、中央奥には「浦島堂」があります。
この寝覚の床は、昔話の浦島太郎が竜宮城に行った後に住み着き、玉手箱を開けて300歳の翁になった場所だ、という伝説が残っています。
雨のせいもあって、辺りには霧が立ち込めていました。ほとばしる浦島太郎感。
長野県上松町のマンホール
かつての木曽森林鉄道を復活させた、赤沢森林鉄道の列車が描かれています。
再び30分歩き、次の列車にギリギリで乗り込んで、次の目的地に向かいます。
③木曽福島
15:32 木曽福島
1駅だけ中央線に乗り、今回の宿のある木曽福島に到着です。
日没まで少し時間があったので、福島宿も散策しました。
福島関所跡です。
福島宿は、中山道34番目の宿場町でした。その中でも福島関所は江戸防衛に大きな役割を果たしており、東海道の箱根関所と同等の扱いを受けていたといわれています。
長野県木曽福島町(現:木曽町)のマンホール
木曽の山や川を幾何学的に表したデザインだそうです。(正直ピンときていない)
福島関所のデザインのハンドホールもありました。
次回は2日目です。
常磐線~磐越東線の日帰りマンホール旅
青春18きっぷが1回分余りそうだったので、常磐線方面に出かけてきました。
日暮里から常磐線に乗り、最初の下車駅は牛久。
茨城県牛久市のマンホールはカッパのデザイン。牛久沼には河童伝説が残っているそうです。
続いては勝田。もともと勝田市でしたが、1994年に那珂湊市と合併してひたちなか市になりました。
勝田市時代のマンホールがこちら。中央の市章の周りには通称「下水君」がついています。周りの葉っぱはイチョウです。
こちらはひたちなか市のマンホールです。ハマギク・イチョウ・ウグイスがデザインされています。
ロッキン。
お次は東海駅。恐るべきスピード感で回っているので、この時点でまだ朝10時半です。
全面に松をあしらったデザインは他にも藤沢市とか、色々な所にある気がします。
プレートタイプの蓋もありました。
日立。Inspire the nextのお膝元です。
今の「日立市」の名称は、日立鉱山と日立製作所から取られているらしく、その影響力がうかがえます。
日立市のデザインマンホール。中央に描かれているのは、日立に伝わる民俗文化財「日立風流物」です。
日立風流物は、大きな山車と、その上で行われる操り人形芝居で構成されているようです。
日立市でよく見られたのは、丸をたくさん使った柄のもの。
これをデザインマンホールと言うかはよくわかりませんが、他の市町村では見られない気がします。
ここからは福島県です。まずはいわき市。塩屋埼灯台とカモメ、クロマツが描かれています。
湯本駅前には色違いの蓋があるそうです。今度行ってみたい。
平市時代(~1966年)の蓋がないか探してみましたが、それっぽいものはこの2枚しか見つからず。次の列車の発車が迫ってしまいあえなく断念。また今度リベンジします。
ここからは磐越東線。キハ110、今年は何回乗ったのやら...
大越駅で下車しました。
駅舎の簡素な造りがローカル線って感じでいい。もちろんこれでも立派な方なんですが。それにしても「ゆうゆうあぶくまライン」って何なんだよ...
福島県大越町(現在は合併して田村市)のマンホールです。ウグイス、ツツジ、イチョウのデザイン。
この辺の市の鳥・花・木ってめちゃめちゃ被ってますよね。ツツジを市の花にしてる自治体なんか、一体いくつあるのやら...
こちらはツツジを大胆にデザイン。
ここから2駅先の船引駅まで歩いて行きます。
福島県 大滝根川流域下水道(現在は名称変更して阿武隈川上流流域下水道)のマンホールです。
周りの円形の部分が実は福島県章になっています。
こちらは船引町(これも現在は田村市)のマンホール。片曽根山とサクラがデザインされています。
途中、いわき方面の列車と2回すれ違いました。
2時間位歩いて船引駅に到着です。この駅は田村市の中心駅になっていて、色々便利な施設(詳しくは知らない)が併設されていました。
クロスシートの向かい側の席に座ったお爺ちゃんの、「田舎には若者がいないし汚職が多いし終わってる」という愚痴を聞いてたらあっという間に郡山。
これまで幾度となく郡山を通っているのですが、意外と降りるのは今回が初めて。
これは郡山市のマンホールカードの座標蓋です。「うすい百貨店」のすぐそばにあります。
郡山駅前ではイルミネーションが行われていて、テレビの取材も来ていました。
17時ごろということもあり、カップルより子供づれの方が多かったです。
ということでここで日没。東北本線をひたすら南下して東京に帰ります。この記事は、快速ラビットの中で書いています。眠い...
国立市のマンホール 国立市章のバリエーションを楽しむ会
東京都国立市は、全国の市の中でも4番目に小さな市ですが、その割にはそこそこの種類のマンホールが存在します。
その多くに国立市章が入っているのですが、蓋によって微妙にそのデザインが異なっています。
これが正式な国立市章。(国立市の概要/国立市ホームページより抜粋)
この市章は市内の彫刻家、関保寿さんの作品で、国立町時代から用いられており、1967年の市制施行時に正式に市章に制定されたようです。込められた意味はというと、
国立市のマークは、梅の花です。五弁の花びらをあしらったこの市章は、いろいろな意味をもっています。二重の外側は、「国」のかまえを表し、内側は、「立」と文教の「文」を示し、図案全体で世界五大州の意味も含んでいます。
(国立市の概要/国立市ホームページより)
らしいです。梅は分かりましたが、さすがに世界五大州は言われないと分かりませんでした。
この国立市章、ちゃんと正確に描き方が決まっています。
作図方法
国立市章に限らず、シンボルマークの類は正確に作図方法が決まっていることが多いようです。
この市章がマンホールになるとどうなるのでしょうか?
許容範囲。正式なものより曲線がキツい気もしますが、まあ合格でしょう。
これも許容範囲。水道の蓋のには「水」の字を模したマークが入る場合があります。
入らない場合もあります。
悪くはない。カーブのゆるさ的にはさっきの蓋より再現度が高いです。でも花びら2枚の線の太さが違いすぎる!
ほぼ完璧だったのに非常に残念です。これはこれでアリではあるんですが...厳しめの採点です。
怪しい。最初の画像と見比べてください。さすがに曲線がきつすぎる気がします。100点中60点といった所でしょうか。
評価しづらい。ここまで見てきた通り、国立市章は花びら二重だったはずですが、この蓋には一重しかありません。
水道マークが入っている時点で周りのマークが市章である保証はないとはいえ(水道のマークと市章が違う市町村も結構あります)、これはどうなのか。
というかさっき水道マークが入ってて花びら二重の蓋もあったし。
もしかしたらメーカーのミス?
次の蓋がこの記事のオチです。
絶対に許さない。もう一度正式なマークを見返してください。これは同じマークって言っていいのか。一瞬天理市章みたいに見えてしまいました。
これらの蓋から、マンホールに描かれる市章は割とラフだということがわかります。
他の市町村でも、よく見てみると微妙におかしい柄のマンホールが見つかるかもしれませんね。
山形県酒田市の越境蓋?
この間の週末パス旅行で立ち寄った山形県酒田市で発見したマンホール蓋の話です。
まずは酒田市章が入った量水器の蓋です。このタイプの市章は、2005年に周辺の市町村が合併して「新・酒田市」ができるまで用いられてきた旧デザインです。
2005年に制定された新しい市章が入った蓋もあります。
本題はここから。
今回、酒田駅の南西側、酒田港駅方面を歩いたのですが、そこで結構な数の越境蓋を見つけました。
①仙台市?
酒田市北新町付近で10枚弱見つけました。おそらく仙台市の市章だと思うのですが、微妙に形が違うような気もします。本州を横断して酒田まで来るとは大したものです。
↑宮城県仙台市の蓋。言葉にしづらいですが、市章部分が微妙に違う感じがします。
②塩釜市??
仙台市と同じタイプの量水器の蓋ですが、紋章が違います。これも数枚見つけました。宮城県塩釜市の市章が近いような気がしますが、違うような気もします。
↑宮城県塩釜市の蓋。市章部分を見ると、外側のU字部分が違うような気もしますが、どうなんでしょうか...
③鶴岡市?
酒田市今北町、国道112号線近くにあった右書き止水栓です。「水」の字をパターン化したっぽい紋章が特徴的です。この付近には少し違うパターンの蓋も数枚ありました。
この紋章は鶴岡市のもので、水道関係の蓋や、古い下水道の蓋に使われているようです。
これは近場なのでなんとなく理解できます。
↑山形県鶴岡市の制水弁と止水栓。右の蓋のようにマークが上下逆になっているものも存在します。昔の鶴岡市章と「水」の文字をデザインしたものだそうです。
2時間ほどの散策でしたが、3種類の越境蓋らしき蓋を見つけることができました。これらの越境蓋に特徴的なのは、3種類とも水道関係の蓋だということです。
酒田市(当時は酒田町)の水道敷設は1930年。昭和不況などの景気低迷のあおりを受け、水道の普及は終戦のあたりまで思うように進まなかったようです。
酒田市の水道は、終戦後、人口の増加に伴い、6度の拡張工事が行われます。今回発見した越境蓋はこのあたりで設置されたものなのではないでしょうか?(参考:酒田市 平成25年度水道事業年報
http://www.water.sakata.yamagata.jp/nenpou_12_h25.pdf
)
週末パスの旅 2日目
↓の続きです。
一泊二日です。今日は後半戦。
6:27 新庄 陸羽西線 酒田行
スタートは陸羽西線。この列車が始発です。車両はやっぱりキハ110。しかも陸羽東線向けの方です。
せっかくなので国道を歩きます。トラックの交通量が多いのでめちゃめちゃ怖いです。
2kmほど歩いたところに「おいしい道の駅 とざわ」があります。「高麗館」となっていて、謎に韓国を推しているようです。何も食べなかったので、本当においしい道の駅なのかどうかは分かりませんでした。
そんなこんなで1駅戻って津谷駅へ。まだ朝8時半ですが、すでに4km歩いています。ストイックでしょ。
8:26 津谷 陸羽西線 余目行
案の定またキハ110です。
終点余目で、羽越本線に乗り換えです。
9:15 余目 羽越本線 酒田行
羽越本線は基本的に酒田で運転系統が分かれます。酒田がJR東日本新潟支社と秋田支社の境目だからです。
また、羽越本線は全線が電化されていますが、村上と酒田の間の普通列車はすべて気動車での運用です。そのせいでまたキハ110。
酒田にある山居倉庫(さんきょそうこ)です。1893年に建てられた米の保管倉庫で、「おしん」の舞台にもなっています。
倉庫の1つは「庄内米歴史資料館」になっています。
米5俵をもつ女仲仕の人形がありました。横に米1俵を持ち上げるコーナーがあったのですが、1俵でもムリでした。都会育ちは貧弱だからなあ...
昼ごはんは駅弁。「ががちゃおこわ」は、鶴岡特産の枝豆「ががちゃ豆」を山形産のお米で炊き上げたおこわです。(ががちゃおこわ 清川屋)
これがすごく美味しかったです。ただ、言葉にできないくらい美味しかったので、これ以上の説明は特にしません。
12:11 酒田 羽越本線 鶴岡行
酒田からは羽越本線をUターンしていきます。って、またキハ110かい!
余目までは一度きた道を再び戻りつつ、鶴岡に向かっていきます。
鶴岡で乗り換え。次の車両は...?
13:26 鶴岡 羽越本線 村上行
キハ48!ついにキハ110の連鎖を断ち切ることができました(昨日の石巻線から8本連続でキハ110だった)。嬉しすぎてブレてます。キハ40系に乗るのは只見線以来2回目かも。
府屋駅。ここから新潟県に入ります。このあたりの区間は日本海に沿って線路が敷設されていて、いくつかの駅からは壮大なオーシャンビューが楽しめます。めっちゃ曇ってるけど。
ウトウトしてたら村上駅に着きました。5時起きだからしょうがない。
急に新しいやつきた!新潟の主力E129系です。
羽越本線もここからは電車が走っています。車内が急に静かになって緊張しました。
特に写真も撮らなかったので早速新潟。新潟駅は高架化工事の最中で、現在は2-5番線が高架ホームになっています。
17:21 新潟 信越本線 長岡行
新潟駅周辺を軽く散策したのち、徐々に東京に向かっていきます。車両はまたE129系だったので写真は撮らず。
長岡駅。意外と1時間ちょいかかりました。長岡といえば花火大会のイメージがありますが、実際に駅前に打揚筒のモニュメントがありました。写真撮ればよかった。
18:53 長岡 上越線 越後湯沢行
特急券を安く抑えるために、できるだけ新幹線に乗る区間を短くしようとしています。とりあえず浦佐までは鈍行でいけそう。この時点で新潟から新幹線を使うよりも1,000円ちょっと得しているはずです。偉い
車両はまたE129系だったので割愛。
割とすぐに浦佐駅に到着。新幹線まで30分ぐらいあるのでちょっと散策、
と思ったら、駅前に何もありませんでした。ドンマイ
というわけですぐに新幹線ホームへ。
完全に一人。大丈夫か浦佐
きました。さすがに新幹線到着のタイミングでは何人かはホームにいました。
乗ったのは各駅停車タイプの「とき」。
2時間弱で大宮に到着です。
一泊二日のプチ旅行はこれでおしまい!
ーーー今日のまとめーーー
乗った路線
=陸羽西線・羽越本線・白新線・信越本線・上越線・上越新幹線・高崎線(上野東京ライン)・埼京線
乗り降りした駅
=新庄・古口・津谷・余目・酒田・鶴岡・村上・新潟・長岡・浦佐
訪れた市町村
=山形県新庄市・戸沢村・庄内町・酒田市・鶴岡市・新潟県村上市・新潟市・長岡市・南魚沼市
撮ったマンホール:90枚
週末パスの旅 1日目
週末パスを使って、東北方面に1泊旅行をしてきます。列車に乗るたびに書き溜めているので、結構な文字数とリアルタイム感です。
「週末パス」は、JR東日本のだいたい南半分ぐらいの路線が2日間乗り放題になるフリーパス乗車券です。基本的には土日2日間のみの発売ですが、3連休のうち2日間、という買い方もできます。
今回は、11/23(金・祝)と11/24(土)の2日間有効のものを買いました。
5:30 池袋 埼京線川越行
6:30 大宮 東北新幹線やまびこ41号 盛岡行
週末パスのいいところは、なんといっても特急券を買えば特急列車や新幹線に乗れること。これが青春18きっぷとの大きな違いです。どうせならということで仙台まで新幹線で向かいます。
やまびこ41号は、自由席のある列車では一番早いです(4分前に全車指定席のはやぶさ・こまちがある)。
3連休初日ということもあり、自由席はそこそこの混雑。自分は運良く座れましたが、デッキや通路に立っている人もかなりいました。
8:00 仙台着 さすが新幹線。速い!
写真下手すぎてビビりました。
この後仙石線で何駅か途中下車。
松島海岸駅。遊覧船などに乗る場合は東北本線の松島駅よりもこっちの方が近いので注意です。松島駅に近いのはむしろ隣の高城町。
重要文化財五大堂の透かし橋です。
いわれはこんな感じらしい。
軽く怖いです。
野蒜〜陸前小野の車窓。陸前大塚〜陸前小野間は東日本大震災による被害が大きかったため、線路を内陸に移設した上で2015年に復旧しました。
終点石巻駅。
かわいいゆるキャラがいました。「イシノマキマン」といって、頭に石を乗せているそうです。意味がわかりません。でもかわいいので万事OKです。
仙石線はこれで完乗したので、次は石巻線へ。ここからは怒涛のキハ110系地獄です(好きだけど)。
紅葉はもうちょい先かな?という感じ。
すぐに女川に着きました。女川駅は津波で駅舎が流出してしまったため、2016年に再建されました。この辺はまた今度詳しく。
14:54 女川 石巻線 小牛田行
宿が新庄なので、西に向かって行きます。せっかく駅メモしてたのに、女川にチャックインし忘れててショックでした。
ウトウトしてたら小牛田に到着。すでに日の入りが近い。ここで陸羽東線に乗り換えです。
陸羽東線は小牛田と新庄を結ぶ路線ですが、ほとんどの列車は全線を直通しないので、新庄へ行く場合は鳴子温泉での乗り換えが必要になります。今では小牛田新庄間直通の需要はないのでしょうか。
車両はやっぱりキハ110系。ただし陸羽東線のキハ110は最終増備車のキハ110-213~221のタイプなので、横に赤いラインが入っていてかっこいいです。細かいことはよくわかりません。
鳴子温泉でのりかえた先は黄色ラインが入っているキハ110-237~245のタイプ。本来は陸羽西線用向けだったらしいですが、今ではとくに東西の区別なく運用されているようです。
鳴子温泉駅で1本電車を遅らせて何かしようかと思ったのですが、夕方5時半の時点で全然店が開いていなくて衝撃を受けました。都会育ちは貧弱です。
気づいたら新庄に到着。めちゃめちゃ寒い。
外に出たら雪がうっすら積もってました。そりゃ寒いわけだ。東京では年に2回ぐらいしか雪は降らないのでびっくりです。都会育ちは貧弱ですね。
豪雪地帯ならではのやつ。
そんなこんなで宿に到着しました。明日もいろいろ行こうと思ってます。
ーーー今日のまとめーーー
乗った路線
=埼京線・東北新幹線・仙石線・(仙石東北ライン)・石巻線・陸羽東線
降りた駅(改札を通った駅)
=多賀城・本塩釜・松島海岸・高城町・石巻・女川・小牛田・鳴子温泉・新庄
訪れた市町村
宮城県多賀城市・塩釜市・松島町・石巻市・女川町・美里町・大崎市・山形県新庄市
撮ったマンホール:71枚
石神井川中流の流路跡を歩く その2-2 (高松・春日町方面)
続きです。
今回は地図の中央付近、川跡が分岐するところから。
川跡を道なりに進んでいくと、練馬区立春日小学校の裏門に到着し、これ以上先に進めなくなります(地図上の7)。川跡は、春日小学校の中を抜けていっていたようです。
現在の春日小学校と1947年当時のほぼ同じ位置を撮影した航空写真です(どちらもねりまっぷより作成)。水田の周りを水路が走っていることがわかります。おそらく、今の校舎の北側あたりを川が走っていたと考えられます。
ほぼ同じ場所を色別標高図にしてみました(地理院地図(自分で作る色別標高図)を利用)。崖沿いに校舎があることがわかります。南側の大きい建物が校舎、北側の小さい建物が体育館のようです。体育館は建設の際に多少崖を削っているものと思われます。
3つの要素を無理やり合わせてみました。非常に見にくいです。崖沿いに川が流れていたところに校舎を建てているということが辛うじてわかります(これも地理院地図より作成)。
春日小には、北校庭と南校庭という2つの校庭があるそうです。北校庭は崖の上、南校庭は崖の下にあるようで、校舎は北校庭から見ると2階建て、南校庭からみると3階建てになっているそうです(春日小学校HPより)。
南校庭と正門の間には「春日の流れ」という小川があり、子供達の学習に使われているそうですが、今回訪れている川と関係があるかどうかはよく分かりません。
春日小の建設用地は1978年に取得されたものですが、その翌年の発掘調査によって、尾崎遺跡が発見されます。
春日小学校の建設にあたり、昭和54年~55年に発掘調査が行われ、旧石器(約3万年前ごろ)から江戸時代までの遺跡が発見されました。この遺跡からは、底がとがった縄文時代の土器や、「仲」と書かれた平安時代の土器など、練馬の昔を知るための貴重な資料が得られています。中には火おこしをするのに使った「平安時代の火きり臼」など大変珍しいものもあります。「尾崎遺跡おさきいせき」は、遺跡の多くが埋め戻し保存され、昭和58年に東京都の史跡に指定されています。これらの資料は、学校内にある「春日小学校尾崎遺跡おさきいせき資料展示室」で見学できます。
(文章と画像:尾崎遺跡 (おさきいせき):練馬区公式ホームページより引用)
尾崎遺跡は、練馬区に旧石器時代から人が住んでいた証拠の1つとして大きな役割を果たしているようです。
先に進みます。
地図上8の地点。ここから川は道路上に戻ります。最初から一貫して道幅が広く、練馬区にありがちな水路敷はまだ登場しません。
9地点。終盤にさしかかって道幅が狭くなり、暗渠っぽさが今更になってでてきます。下水道台帳を見ると、残念ながらこの川跡を流れる下水道は途中何箇所かで分断されてしまっています。こういったみちも「暗渠」と呼んでしまってもいいのでしょうか?
豊島園グラウンドの前の道に出ます。現在では豊島園の敷地に遮られてここから先を辿ることはできません。
1936年の航空写真です。目を凝らして見てみると、なんとなく石神井川に注ぐ流路が分かるような... それっぽいルートを紫で描写してみましたが、全然違うような気もします(これも地理院地図より作成)。
6地点で分岐した水路が石神井川と再び合流する石川橋に来ました。
石川橋の少し手前の地点です。奥の波マークのペイントの奥は豊島園の敷地です。
石神井川も、この先は豊島園の敷地内を通っていきます。