石神井川中流の流路跡を歩く その1-1
石神井川中流のごく一部(平成みあい橋〜東中央橋)に絞って、1970年時点の流路をマップに描きました。
紺色 = 現在も流れている石神井川
水色 = 1970年発行の住宅地図に開渠として描かれている部分
深緑 = 1963年の航空写真では開渠になっているのに住宅地図に描かれていない部分
となっています。
今回歩いたのは谷原三之橋付近から大野橋に流れていた部分と、大野橋から道楽橋にかけて流れていた氾濫流路です。
谷原三之橋から少し下流に進んだ部分に石神井川と繋がる水路跡があり、その奥に水路敷が走っています(図中1)。
この付近の石神井川は古くは3本川となっており、周辺には水田が広がっていました。そのため、水田に水を供給していたと思われる水路がこの付近には数多く存在します。
図中2の地点。アパート1軒分だけ古めの側溝蓋が残っています。
3地点。石神井川のすぐそばを通過します。右手は崖になっています。
大野橋。水路敷はここで一旦途切れます。ここまでの水路敷は、石神井川が蛇行していた頃の本流の跡のようです。
ここからは、石神井川の南側を迂回する流路跡を進みます。
練馬区のまちづくり情報誌「こもれび」第43号では、この水路敷が石神井川の氾濫流路として紹介されています。
この流路の上流は1970年住宅地図には描かれていませんが、1963年航空写真には写っています。7年の間に暗渠化された可能性があります。
大野橋のすぐそば(5)から不自然な細道が分かれていきます。
練馬区名物の水路敷ペイントもあります。(6)
水路敷は四商通りとぶつかり、右折して少し平行した後、左折します。(7,8)
練馬区章が入った「雨水浸透」の小型マンホールがありました。
9地点。上り階段になっています。この辺りの流路は区画の変遷とともに多少か変更されているらしく、あまり当時の面影が残っていません。
10地点。ここから先は1970年住宅地図で開渠部分になっており、現在は「貫井四丁目緑道」として整備されています。
11地点。環状八号線の下をくぐり抜けます。
続きは次回。