OKRAのあれこれ

マンホール・路上観察などをごちゃごちゃと...

埼玉県飯能市のマンホールとか

大学が休みでやることも特になかったので、西武線で飯能まで行ってきました。

電車1本で行けるところなのに、これまでちゃんとマンホールを見たことはありませんでした。

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駅前にあった蓋。飯能河原あたりかな?と思ったら、越境蓋でした。これは東京都秋川市(現:あきる野市)のデザインマンホールです。

あきる野市に設置されているマンホールでは、左下の部分に「あきがわし」と刻まれていたようですが、このマンホールでは空白になっています。もしかしたら飯能市に設置するにあたって削られたのかも。

秋川市のマンホールは、飯能駅周辺に5枚ほどありました。駅を出て最初のマンホールが越境蓋とは...

 

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飯能市のデザインマンホールはこっちです。中央には山や川、市の鳥であるウグイスが描かれ、周りには市の花であるツツジが描かれています。ツツジを市区町村の花にしている自治体、一体いくつあるんでしょうか...

 

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飯能市のJIS蓋です。編集するときにうっかりしていて、上下逆にしちゃいました。この他にも市章の中央に穴が空いているタイプや「汚水」「雨水」の表記があるものなど、飯能のJIS蓋にもそこそこバリエーションがありました。

 

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マンホールの上に水たまりができていたので、蓋リフレクション、撮ってみました。傘の影ができてきれいに写らなくなってしまうので、マンホールを撮影するときに雨が降るのは正直嫌です。雨の日にマンホールを撮影する秘訣を持っている方、ぜひ教えてください。

 

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阻水弇を見つけました。上の紋章がすり減って判読できないのが残念です。

 

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今回のメインはこれ。飯能市の下水道章標です(たぶん)。

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アップにしてみました。これがメイン、って言った割には画質が悪い。

飯能市の下水道章標は、周りが下水君になっています。左右の「飯能」の手書き感がいいですね。下の「1691」は何なのか気になります。

 

おまけ

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「埼」が異体字になっているタイプの境界標です。

 

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一瞬「人間77号」に見えました。だから何なんだ、って話ですね。

 

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身に沁みます。

矢口水道の蓋を探しに行った話

ダラダラしてたので久々の投稿です。

 

マンホーラーの祭典「マンホールナイト」の翌日、11月4日に「矢口水道調査会」なるものに行ってきました。

矢口水道株式会社は、昭和初期に6年間だけ存在した、東京府の矢口町に給水を行っていた会社です。1984年出版の「マンホールのふた 日本編」には2枚の蓋が掲載されていますが、それらは現在では撤去されており、他の蓋の存在は全く確認されていません。矢口水道調査会は、自らの担当地域をくまなく探し回って矢口水道の蓋を発見してしまおう、というイベントでした。

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武蔵新田駅周辺の探索を任せられたので、集合場所の蒲田から東急多摩川線で向かいます。

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武蔵新田駅。写真ヘタすぎ。

ここから矢口水道の蓋を探します。

 

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右書きの止水栓がありました。

 

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空き地にネコ。

 

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路上散策ガチ勢に昼食の時間はありません。

マツキヨで半額で買ったハンバーガーを貪ります。

 

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レアもの発見!東京都章が入った甲止栓です。

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アパートの1階部分にありました。我ながらよく見つけたなぁ

 

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身にしみます

 

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「分別しろ!」現場の人の怒りが伝わってきます。

 

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探索が終わると、報告会が行われました。

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「マンホールのふた 日本編」の著者、林丈二先生が、矢口水道の蓋を発見した時の様子を話してくださいました。1980年代の時点で2枚しか見つからなかった蓋、今回見つからないのもしょうがない...

 

その後、調査会中のメンバーのツイートを振り返り、矢口水道調査会は終了となりました。

矢口水道の蓋は見つかりませんでしたが、それでも様々な発見があり、とても楽しい一日でした。

千住町のマンホール

早くもテストが終わったので、足立区千住中居町にある、東京府千住町のマンホールを見てきました。

 

 

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細めの路地に3枚、名古屋市型(と、その亜種)が残っていました。

  

中央に千住町の町章が入っています。

千住町(せんじゅまち)は、1889年の市制・町村制の施行によって誕生した東京府南足立郡の町で、現在の足立区南部にあたります。その後、1932年に東京市が誕生した際に、周辺の町村と合併し足立区になりました。その時に設置された蓋が今でも何ヶ所かに残っています。

 

千住中居町にある旧千住町の蓋は、かつてはもう1枚あったようですが、2012年頃までに撤去され、桜蓋に交換されたようです。

倉敷市 怖いキャラのマンホール

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倉敷市の水道関係の蓋にみられるマンホールです。怖い。絶対ヤバい薬やってる。

倉敷の美観地区にこのマンホールが埋まっている光景は何ともシュールです。

 

この狂気を感じるキャラは、倉敷市水道局のイメージキャラクター、「くらっぴぃ」らしいです。

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怖い。夢に出てきそう。

 

他にもくらっぴぃが描かれたマンホール(など)がいくつかありました。

 

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これはハンドホール蓋。お手上げ状態。

 

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消火栓マンホールでは、消防車のホースを持っちゃっています。それでも手は上げとかなきゃいけない決まりなのか。

 

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倉敷市水道局の広報誌は「広報くらっぴぃ」です。ここでもくらっぴぃがお手上げ。

 

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倉敷市水道局HP( http://www.city.kurashiki.okayama.jp/suidou/ )ではくらっぴぃが悪質商法への注意喚起。こう見るとちょっとかわいいかも。

 

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いや、怖いわ。

 

倉敷市のキャラクター図鑑( https://www.okayama-ebooks.jp/?bookinfo=倉敷市キャラクター図鑑 )では、倉敷市にまつわるご当地キャラを一挙に紹介しています。これを見てみると、くらっぴぃ以外にも謎のキャラが何体かいるような...

東京市型(JIS型)に見えてちょっと違うマンホールたち

まずは正調東京市型から。

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東京都小平市のマンホールです。

東京市型(JIS型)は、内側が8分割外側が14分割になっている非常にオーソドックスな形のマンホールです。以下、マンホールの蓋 - Wikipediaより引用。

現在の蓋の原形は、明治から大正にかけて、東京帝国大学で教鞭をとると同時に、内務省の技師として全国の上下水道を指導していた中島鋭治が、1904年(明治37年)から1907年(明治40年)にかけて東京市の下水道を設計するとき[‡ 1]に西欧のマンホールを参考に考案した。この当時の紋様が東京市型(冒頭の写真参照)と呼ばれ、中島門下生が全国に散るとともに広まってゆき、その後、1958年(昭和33年)にマンホール蓋のJIS規格(JIS A 5506)が制定された際に、この紋様が採用された。

※あくまで一説です。JIS型の考案者は中島鋭治ではないという説もあります。

 

東京市型は全国のあらゆる自治体でみられますが、まれに形の違うデザインのものが存在します。

 

①外側が多い

先述の通り東京市型の外側は14分割ですが、それより多くなってしまっているバージョンのものがたまに存在します。

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神奈川県川崎市川崎区(たしか浜川崎駅周辺)にあったIGS(伊藤鉄工)製のマンホールです。中央の紋章は現行のものより古いもののはずです。

この蓋は、外が16分割になっています。また、内側の模様も、一般的な東京市型とは角度がズレています。

 

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東京都練馬区笹目通り沿いにある東京都章入りマンホールです。こちらも中央が16分割です。

正直、内側8分割・外側16分割のこちらのデザインの方が、外側と内側の放射状の線が重なるので幾分すっきりとした印象です。なぜ、中島鋭治さんは内側8分割・外側14分割にしたのでしょうか?

 

②内側も外側も数が違う

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岡山県倉敷市のマンホール蓋です。この蓋は、内側が6分割、外側が12分割と、どちらも東京市型より少なくなっています。なんとなく物足りない感じがしますね。2ヶ所穴が空いていない場所があるのに、鍵穴を12分割のポイントと違う場所にもってくるのが不可解です。

 

③もはやよく分からない

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東京都豊島区、サンシャイン60脇の首都高の下にある(はず)の共同溝のマンホールです。

このマンホールは外側が16分割になっている他、内側と外側の穴の位置関係が一般的な東京市型と異なり、さらに外側に1つ多く円があります。ここまで異端なものになってくると、本当に東京市型を下地にしているのかすら疑問に思えてきます。

 

今の所見つけたのはこの4枚ですが、他にも見つけたら追記します。

香川県土庄町 加工されたっぽいマンホール

プロフィール画像に登録しているマンホールです。9月上旬に小豆島に旅行に行ったときに撮影しました。この蓋は、土庄町役場の近くにあります。世界一狭い土渕海峡のすぐそばです。

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土庄町は、小豆島の西半分と周辺の島からなる香川県自治体です。土庄町は汚水処理人口普及率が31.9%(2013年)と低く、マンホールの数も少なめです。

この蓋は内側8分割・外側12分割の正調名古屋市で、中央に土庄町の町章が入っています。これがなんか怪しい。

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中央が謎に盛り上がっています。その周りには矢印(土庄町章には矢印はありません)。町章部分だけあとで貼り付けた?

 

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怪しいマンホールのすぐそばにあったマンホールです。これも名古屋市型ですが、中央の紋章が上のマンホールと違います。これは高松市のマンホールです。高松市のマンホールに入るマーク(市章や下水道局のシンボルマークの類ではありません )の周りには、上の土庄町章の周りにあったのと同じ矢印が。

おそらく、あの土庄町章入りマンホールは、高松市名古屋市型マンホールの上に土庄町章の入った鉄板をあとで貼り付けているものだと思われます。こういうこともあるんですね。

 

おまけ

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土庄町のデザインマンホールの柄は、映画「二十四の瞳」とオリーブです。二十四の瞳は見たことないのでよく分かりませんが、オリーブはとても美味しかったです。

デザインマンホールは土渕海峡沿いの道にはなく、土庄町役場の裏手に行かないと見つからないので注意が必要です。

練馬区、貫井川暗渠を観察してきました(2)

 続きです。

iamokura.hatenablog.com

 

今回は地図上の⑦から。

環八通りを超えてからはひたすら車止めや水路敷ペイントのある道を通っていきます。

 

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橋があったんだろうなあ、という場所が何ヶ所もありました

 

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石神井東小前(⑧)には明らかに橋の跡と思わしきコンクリートが残っていましたが、小学生の下校時間と重なり写真が撮れず。まだ不審者にはなりたくない。

 

石神井東小を超えるとすぐに西武池袋線の高架と交差します。このあたりの貫井川暗渠は、南田中三丁目と富士見台二丁目の境になっています。

 

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西武線と交差する直前に貫井川唯一のコンクリート蓋暗渠がありました。今は酒屋さんの物置と化してしまっています。

 

西武線が高架化されていない時代には、貫井川に橋が架かっていたようです。今では高架下に貫井川の痕跡をみつけることはできず、地下の下水道も途切れてしまっています。

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↑ 東京都の下水道台帳(http://www.gesuijoho.metro.tokyo.jp/semiswebsystem/TspAgreementWeb.aspx)より。暗渠は南西から北東の方向に向かっていますが、下水道は全然違う方向に繋がっています。

 

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西武線を超えると、暗渠は都営練馬富士見台アパートの東側の小道になります。

 

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数分進んだところでまた環八通りと交差。ここでも下水道は完全に分断です。

暗渠は一瞬環八の北西に渡ったあと、90度方向転換して再び環八を渡って東進。

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たじま児童遊園(⑩)です。この間の台風で桜の木が折れてしまい、伐採されていました。

暗渠はこの辺りで南に方向を変えます。

 

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貫井橋(11)。目の前の交差点で貫井川本流は左に方向を変えます。右からは千川上水方面からの支流が合流します。

ここから下水道は支流方面から来た貫井幹線になり、石神井川を超えて練馬幹線と合流、最終的には板橋区の新河岸水再生センターに向かいます。

 

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貫井中学校の横に、貫井川緑地がありました(12)。このあたりには昔「貫井池」という池があったようで、昭和22年の航空写真には湿地らしきものが確認できます。

貫井池は貫井川の名前の由来となった池で、この地の住民が水不足で苦しんでいた時に、弘法大師が訪れて杖で地面を叩くと、そこから水が湧き出てきた、という伝承が残っています。

 

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かつての流路を思わせるようなコンクリートが埋め込まれています(13)。川があった頃の遺産なのでしょうか?

 

ここから先、暗渠は「貫井川緑道」として整備されています。貫井川緑地と間違えそうな名前ですね。

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すぐに目白通りと交差します(14)。周りには円光院というお寺があります。円光院というお寺をを超えたあたりで下水道の貫井幹線(合流)は東の方向に分かれていきます。

 

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貫井川がつくったと思われる谷の地形です。下流になるとそこそこの流量があったものと思われます。

目白通りを超えるといよいよゴールの石神井川が近づいてきます。このあたりになると貫井川はいくつにも分岐します。向山四丁目の道は半分くらい暗渠であると言っても過言ではないレベルです。

 

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住宅街を抜けると急に石神井川が姿を現し、貫井川はそこに繋がっています(15)。現在石神井川に注いでいる水はもちろん合流の下水道ではなく、円光院の裏から登場する雨水管です(これも貫井幹線)。

石神井川はその後東へ向かい、北区堀船で隅田川に注ぎます。板橋区石神井川周辺には氾濫原が多く残っているようなので、今度行ってみたいと思います。